山縣亮太は未熟児で出生体重は?生い立ちや子供の頃のエピソード!

日本陸上界の絶対的エース・山縣亮太選手!

2016年のリオオリンピックでは400mリレーで銀メダルにも貢献し、2021年東京オリンピックの代表にも内定しています。

そんな山縣亮太選手ですが、未熟児で産まれたことはご存知でしょうか。

現在の屈強な体格の山縣亮太選手からは想像できないですよね!

未熟児で産まれた山縣亮太選手は出生時の体重は何グラムだったのか気になる方もいると思います。

そこで今回は「山縣亮太は未熟児で出生体重は?生い立ちや子供の頃のエピソードまとめ」と題して、山縣亮太選手の過去に迫ってみたいと思います!

山縣亮太は未熟児だった!?出生時の体重は?

 
 
 
 
 
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山縣亮太選手は、出産予定日より2ヶ月も早い1992年6月10日に産まれました。

出生児の体重はわずか1730g!

そのため、新生児治療室(NICU)で治療を受けていました。

また、早産だったことから産まれた時の呼吸は弱々しく、新生児集中治療室で55日間もの間入院しなければならなかったそうです。

通常、出産してもよいとされている週数は37週(妊娠10ヶ月)です。

2ヶ月も早く産まれたということは妊娠8ヶ月で産まれていることになります。

早産で産まれると、臓器が未発達であったり子宮外で機能する準備が出来ていないことがあるため治療が必要なことが多いです。

当時の父親のノートには…

「助けてください」「亮太が無事に育つことを祈る」

と記されています。

山縣亮太選手がギリギリ命を繋いできたことが分かりますね。

乳児期は子育てが大変な時期でもありますが、山縣亮太選手のご両親もきっと色んな思いを抱えながら子育てされてきたのではないでしょうか。

山縣亮太選手は、55日間の入院を経て退院してからも1年間の外出禁止令がだされていました。

外出禁止令が解かれた日に出かけた外出先でも、緊急入院してしまうほど。

山縣亮太選手が立派に成長して、ご両親はほっとしていることと思います。

山縣亮太の生い立ちや子供の頃のエピソード!

出生した時についてまとめてみましたが、続いては山縣選手の生い立ちや子供の頃はどんな風に過ごされてきたのかをまとめていきたいと思います!

山縣亮太の生い立ち①幼少期

小さい時は決して身体が強い方ではなかったそうですが、幼稚園の頃に父親と広島ビッグアーチ(エディオンスタジアム広島)に行くことが多かったそうで、その影響からかサッカーを好きになり幼稚園の頃にサッカーを始めています。

所属していたサッカークラブが”遊びながら教える”というスタンスだったようで、山縣選手はすごく楽しんでいっていたそうです。

山縣亮太の生い立ち②小学校時代

決して身体の強かった少年ではなかったですが、スポーツ少年だった山縣選手は小学校時代にはサッカーと野球と陸上をなんと3つも掛け持ちしていたそうです!

小学校4年生の時に、お兄さんが陸上を始めたことで「自分も負けたくない!」という思いから陸上を始めたんだとか。

陸上を始めた理由が、お兄さんに負けたくないという闘争心から始めるなんて根っからの負けず嫌いだったことが想像できますね!

すぐに才能を開花させ、小学校の代表に選ばれて出場した100m走の大会で陸上クラブの選手たちを破って優勝した経歴があります。

最初のきっかけは兄に対しての負けたくないという気持ちからですが、だんだん陸上に対しての想いが変わり小学校5年生の時には陸上1本に絞っていきます。

その年の全国大会では100mで8位に入賞しています。

山縣亮太の生い立ち③中学校時代

 
 
 
 
 
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山縣選手は、広島県にある中高一貫の修道中学に通っていました。

陸上1本に絞っていた山縣選手は、中学時代は陸上部に入り全日中という全国大会出場を目指しており、実際に出場しています。

その時にやっていた練習で、「車と競争」をしていたとか・・。

大学生まで、その練習をしていたそうですよ!

車と競争までしていたなんて、練習方法が独特で面白いですよね^^

けどその練習をしていたからこそ、オリンピックでのあの走り、バトン回しが出来るんだと思いました♪

山縣亮太の生い立ち④高校時代

 
 
 
 
 
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修道高校に入学してからは、インターハイ出場を目指して練習に明け暮れた日々を過ごしていました。

その努力もあって高校1年生の頃には総体100mで注目を浴び、順調に結果を残していました。

そして高校2年生の頃、ブレッサノーネで行われた世界ユース選手権100mRでは銅メダルを獲得します。

しかし、その頃に怪我をしてしまい練習メニューに筋トレを積極的にするようになったそうです。

高校最後の大会では、国対少年A100mで優勝したり、日本ジュニア選手権100m・200mでも優勝し、次々とタイトルを取っていきました。

怪我をしてしまっても、そこで諦めるのではなく筋トレをして更に体力を強化する、その頃から世界を目指して練習していたように思います。

兄に負けたくないという少年の小さな闘争心が、まさかここまでの選手になるとは誰も予想していなかったのではないでしょうか。

まとめ

山縣亮太選手について、生い立ちも含めてまとめてみました!

予定日の2か月も前に生まれてきた山縣亮太選手は未熟児で、出生児の体重はわずか1730g!

産まれた時には未熟児で病気や怪我が多かったとは、今の山縣亮太選手からは想像がつかないですよね。

しかし、その逆境を跳ね除けてオリンピックにまで出場する選手になるとは努力の賜物です!

コロナ禍で例年のオリンピックとは違う形での開催になりますが、力強い走りで日本を元気付けていって欲しいです!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。